バブリーなケーサンショー内閣からインケンなケーサツ内閣にはなってるのか
ピッチャー交代してキャッチャーがピッチャーやってるような政権
もはや政策や理念ではなく、言語に意味を感じるかどうかの争いになってきた
考えうる姑息な手段を通し続ける政権が終わらない
学術会議にまで敵にまわして、平安末期に比叡山や興福寺まで敵にしてしまったくらいまずいのではないか
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。